愛知県津島市のお客様より 北大路魯山人【黄砂鉢】を買取りさせていただきました
【北大路魯山人】
北大路魯山人は大正から昭和にかけて、書・篆刻・料理・陶芸など幅広い分野で活躍した芸術家です。特に美食家・陶芸家として知られています。「うつわは料理のきもの」という言葉を遺しており、食材・素材・の持ち味がさらに引き立つ器を作るため、さまざまな焼物に挑戦し、数多くの作品を遺しています。
北大路魯山人。1883年生まれ。書家、陶芸家、美食家など多彩な顔を持ち、毒舌の評論家としても知られます。
魯山人は、明治16年に京都上賀茂神社の社家の息子として生まれました。
父は魯山人が生まれる前に自殺。母親からも捨てられ、養子先を転々とします。
魯山人は6歳のおり、木版師・福田武造の養子となります。武造は貧しいながらも食道楽として知られ、魯山人は幼くして養子先の炊事を手伝いました。
12歳のおり、竹内栖鳳に出会ったことで画家を志すようになります。そこで画材の費用を賄うため、当時流行していた賞金付きの書道コンクールに応募。そこで受賞を重ねたことで、魯山人は若くして書道家として知られるようになっていきました。
20歳になると、東京に移住。書道家・岡本可亭に入門し、顔真卿の書を学びました。
30代になると、幼い頃より憧れていた竹内栖鳳に再会。栖鳳門下の土田麦僊ら、日本画家たちとの交友が始まります。また、この頃には各地の富豪が魯山人のパトロンととなります。魯山人は彼らとともにさまざまな料亭で美食を味わい、また、魯山人自身が厨房に立って料理を振舞いました。
そんななか、石川県九谷焼の窯元・須田青華の窯で魯山人は初めて陶芸を体験します。
続いて、魯山人は印刷屋を営む中村竹四郎と共同で、骨董屋・大雅堂を開きます。そこで魯山人は、骨董の食器や自作の食器を用いて料理を振る舞う「美食倶楽部」を発足。
美食倶楽部は評判を呼び、魯山人と中村は高級料亭・星岡茶寮(ほしがおかさりょう)に携わるようになります。同茶寮は太平洋戦争末期の1945年、空襲により焼失しました。
戦後は経済的に困窮し不遇な生活を過ごすが、1946年には銀座に自作の直売店「火土火土美房(かどかどびぼう)」を開店し、在日欧米人からも好評を博します。1954年にロックフェラー財団の招聘で欧米各地で展覧会と講演会が開催され、その際にパブロ・ピカソ、マルク・シャガールを訪問。1955年には織部焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるも辞退します。
1959年に肝吸虫(古くは「肝臓ジストマ」と呼ばれた寄生虫)による肝硬変のため横浜医科大学病院で死去。享年76歳。
今回買取させていただいたのは、北大路魯山人【黄砂鉢】
多くの才能を発揮し、磁器から土物に至るまで数万点を生涯のうちに作陶した魯山人。
その作品のほとんどが食器であり、彼の器によって料理は引き立ち、器はまた料理によって彩られました。
こちらの鉢もまさにそういった器の一つです。
塗りの蓋が合わせてあります。
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