東海市のお客様より “十二代 酒井田柿右衛門 柿目白 置物”を買取りさせていただきました
酒井田柿右衛門窯
酒井田円西は、息子である喜三右衛門とともに陶器や白磁、染付などの磁器を製作していたが、やがて17世紀前半に喜三右衛門は赤絵磁器の焼成に成功し、柿右衛門を名乗った。
初代は乳白色(濁手)の地肌に赤色系の上絵を焼き付けるという柿右衛門様式(後述)と呼ばれる磁器の作風を確立し、その作品はヨーロッパなどにも輸出されマイセン窯などでは模倣品も作られた。
1666年に没した初代、その息子である二代(1620年 – 1661年)、二代の弟の三代(1622年 – 1672年)は製作期が重なっており、四代(三代の息子、1640年 – 1679年)までの間が初期柿右衛門とされる。
18世紀前半から19世紀にかけての八代(1734年 – 1781年)、九代(1776年 – 1836年)と十代(1805年 – 1860年)の期間は後期柿右衛門とされ、主に染付の磁器を製作した。七代から八代にかけては四角の中に福の字が入った「角福」と呼ぶマークを施したものが多い。これは明清の陶磁器に元々あったものである。
近代以降では、十一代(1839年 – 1916年、1860年に襲名)は「角福」のマークの商標登録の可否などを争う訴訟を起こして経済的に困窮したが、海外にも積極的な出品を行なった。1919年には出資する事業家と共同で十二代が柿右衛門合資会社を設立し、赤絵技術と「角福」銘を供与した。しかし美術品の制作を志向する十二代(1878年 – 1963年)は会社と経営方針が合わず、1928年に関係を解消した。以降それぞれが「柿右衛門」作品を制作したが、1969年に和解し、その後合資会社は名義を使用していない。
十二代と十三代(1906年 – 1982年)は1947年頃から濁手の復活を目標とし、1953年に初めて濁手の作品を発表した。濁手の製作技術は1955年に国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択され、1971年には重要無形文化財に指定されている。
【12代 酒井田柿右衛門】
父11代について陶芸技術、とりわけ図案を学び、一方南画も5年間習っている。昭和28(1953)年、初期の柿右衛門が創りだした濁白手(にごしで)素地の技法が中絶していたのを再現することに成功した。その技術は昭和30年3月に無形文化財として指定された。昭和25年日本貿易産業博覧会に優勝、同36年日本伝統工芸展に日本工芸会長賞、同32年同展文化財保護委員会委員長賞、同33年万国博覧会(ブリュッセル)グランプリ等を受賞。
※「酒井田柿右衛門〔12代目〕」『日本美術年鑑』昭和58年版(275-276頁)
今回買取させていただいたのは、十二代 酒井田柿右衛門 『柿目白 置物』。
11代の頃から脈々と受け継がれる柿のモチーフの作品です。 目白の白色とのコントラストも美しく、 葉や枝、蔕に至るまで一切の妥協を許さない完成度の高い逸品です。
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